したと考えられます。
【はみ出しメモ】
屋台囃子の成立に関して、近年、「秩父鉄道の建設に伴い、大正の初めころから屋台、笠鉾はだんご坂を登るようになった。これにより、それまでの流暢なお囃子から大太鼓をメインとする勇壮なお囃子へと変わっていった」と語られるようになりました(『秩父夜祭』平成17年12月(株)さきたま出版会)。
大正6(1917)年9月27日の秩父鉄道御花畑駅の開業に伴い、笠鉾・屋台の順路は、団子坂を経由するようになりました。
しかし、大正期に生まれ、幼少時から中近笠鉾で屋台囃子に従事してきた2名の伝承者(大正10年と大正14年生まれ)からの聞き取り調査によれば、「大太鼓の叩き方は、自分達が子供の頃、(明治生まれの)大人達が叩いていたのと変わっていない。当時の大人はみんな腕っ節が強く、鳴らす者が多かった。」と言います。また、死亡事故が起こった昭和40年まで、団子坂の曳き上げは、踏切を渡ると同時に駆け足であり、坂を上るのに1分とかかりませんでした。
伝承の実体験から考えても、祭りの長い1日から見ればほんの一瞬のために、僅か10年程度の間に屋台囃子の奏法が大幅に変化することはありません。今日の屋台囃子成立の重要な契機は、明治初期に訪れ、それを実証する物的史料が実在しています。
にもかかわらず、活字文化の怖さで、満足な調査や考証を欠いた貧しい想像がこのように活字となったことで「定説」として一人歩きを始めました。
祭り囃子の伝播
全国の祭りで、様々な祭り囃子がそれぞれの地方の民俗芸能として大切に育まれ、伝承されています。
ここでは、秩父から遠く離れた地方に伝わる祭り囃子について紹介します。
滋賀県蒲生郡日野町と甲賀郡水口町。この2つの町ではそれぞれ、「日野祭