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医の中の蛙 第57回 無病息災より一病息災のこころ

2020年9月29日

 秋風とともに秋の味覚が出回り、何を食べてもおいしい季節になりました。暑さで体力や食欲が低下している体の不調を回復と願いたい。しかし、この夏はコロナ感染症による自粛生活で体力が衰えたところに、連日の体にこたえる猛暑で、例年よりも多くの高齢者が熱中症で亡くなりました。
 人間ドック・健康診断に長く関っていますが、全く異常がない方はほとんどお目にかかりません。検査機器の進歩で細かく探せばどこかしら注意する点があるのはストレスの多い現代に生きる私たちの宿命かも知れません。
 私たちはお寺や神社にお参りした際には、家内安全や身体健全を祈るなど、無病息災を願って日々生活しています。しかし中高年以上の世代で、無病息災で健康に過す事はなかなか難しい。若い頃の「飲む・打つ・買う」が、いつの間にか「薬を飲む、注射を打つ、サプリメントを買う」に変ります。無病息災がどれほど難しくありがたいことか、加齢とともに身に染みます。
 「無病」は病気が無い。「息災」の息は仏教語で止めるということです。つまり、神仏の力で災いを止めて病気の無い毎日を過せるといった意味です。対して一病息災はちょっとした持病があると常に健康を気遣うので、かえって長生きできるという意味です。
 スペインのことわざで「病気の無い人は幸福だ。借金の無い人は裕福だ」と教えています(矢崎源九郎:世界のことわざー民族の知恵―、教養文庫)。できることなら無病息災が理想ですが、生きがいや楽しみを犠牲にしてまで無病にこだわるのは疲れないか。経過を見ながら、そこそこ元気に暮らす一病息災であれば十分可能ではと考えさせられる。特に高齢者は病気と共存し、生活の質を維持しながら生活する程度の一病息災が幸福なのではないだろうか。

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